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廃帝 (東晋)[はいてい]
廃帝(はいてい)または海西公(かいせいこう)は、東晋の第7代皇帝。第3代皇帝成帝の次男。 == 生涯 == 同母兄の第6代皇帝哀帝の崩御により即位するが、穆帝の代から権力を牛耳っていた桓温の専横がなおも続いた。興寧3年(365年)、洛陽が前燕によって奪われ、桓温の力に陰りが見え始めると、太和4年(369年)に桓温は洛陽奪回の北伐軍を興したが、前燕の名将・慕容垂の前に大敗してしまう。これにより桓温の東晋における勢力はますます弱体化するが、挽回するために桓温は簒奪を図るようになる。そして太和6年(371年)、腹心の郗超の献策を採った桓温によって廃され、海西公に降格されてしまった。帝位は大叔父の会稽王司馬昱に移された。 その後は呉郡に移され、才を隠し飲酒に耽ることで朝廷の警戒をそらし、ともかくも無事天寿を全うしている。太元11年(386年)、45歳で逝去。一説では酒毒で亡くなったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「廃帝 (東晋)」の詳細全文を読む
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